ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

W. G. Sebald の “Austerlitz”(1)

 きょうは Patrick Modiano の "In the Cafe of Lost Youth" について若干補足するはずだったが、ゆうべ、W. G. Sebald の "Austerlitz"(2001)を読了。周知のとおり、2001年の全米批評家協会賞受賞作である。さっそくレビューを書いておこう。
 追記:本書は2002年のインディペンデント紙外国小説最優秀作品賞も受賞していました。

[☆☆☆☆★] これはまず、時間を空間によって表現しようとする試みである。アントワープ駅にはじまり、ベルギーのブレーンドンク強制収容所や、グリニッジ天文台チェコのテレジー強制収容所、フランス国立図書館といったヨーロッパ各地の巨大建築物、歴史的建造物にかんする詳細な記述から浮かびあがるのは、たんに建物の由来やコンセプトにとどまらず、いわば歴史そのものである。室内の物品や屋外風景もふくめた細部に大きな歴史が宿り、静かなたたずまいに激動の歴史が眠る。それは過去と現在が共存し、現在の空間が過去の時間を物語るということだ。つぎにこれは、言語によって時間を表現する試みである。語り手の「私」に主人公アウステルリッツが自分の体験を告げ、アウステルリッツ自身が聞いた第三者の言葉をつたえる。このいわば「三重話法」で「私」の現在とアウステルリッツの過去、第三者の過去が重なり、過去から現在へと歴史が、時間が切れ目なく連続する。こうした過去と現在の共存、時間の連続性を象徴すべく、本書は改行なしにつづく長大なひとつのパラグラフから成っている。最後にこれは、視覚によって時間を表現する試みである。写真や図版などの挿入は、フィクションを現実化するだけでなく、そこに示された時間を見る者に意識させ、過去の歴史を現代にまざまざとよみがえらせている。こうした斬新な技法により提示された時間は、やがて第二次大戦中のユダヤ人迫害の歴史へと収斂。アウステルリッツをはじめ、歴史に翻弄された人びとの苦悩と絶望、喪失感が細密な空間から、連続した時間と視覚を通じて如実につたわってくる。定番のテーマを定番と感じさせない傑作である。