ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ali Smith の “Spring”(2)

 あれがこうなり、これがああなり、ここにこうしてぼくがいる。このところ、そんなことを痛感する毎日だ。先週など、満員電車の中でドア付近にしか立てず、降車駅の三つ前の駅でホームに押し出されてしまい、ああ、なんの因果か、これがああなり…と思ったものです。
 さて、いま読んでいるのは、Akwaeke Emezi というナイジェリア出身の女流作家が書いた "Freshwater"(2018)。届いた本の表紙を見て初めて知ったのだが、今年の Women's Prize for Fiction のロングリストに入選したそうなので、先刻お読みの方も多いことだろう。
 ぼくは同賞にはあまり興味がないが、現地ファンのあいだでは、表題作とおなじく、今年のブッカー賞のロングリストに選ばれるかも、と取りざたされている。その情報をキャッチしたので手を伸ばしてみた。
 まずまず面白い。最近読んだものの中では、いちばん出来がいいかもしれない。ナイジェリア生まれの少女 Ada に、まず Smoke と Shadow という二人の人物が、ついで Asughara というべつの少女が憑依する話で、いや、これは憑依なのか何なのか、とにかくヘンテコな二重あるいは三重人格の物語…らしい。鬼面人を驚かすような設定だけど、その意図はたぶん…とようやく推測がつきつつあるところだ。
 それにひきかえ、Ali Smith の "Spring"(2019)、これはつまらなかった(☆☆☆)。  

 一方、四季シリーズの第一作 "Autumn"(2016)は、わりと印象がよかった憶えがある(☆☆☆★★)。 

 同書がご存じのとおり、2017年のブッカー賞最終候補作に選ばれたとき、そうなるとは知らず前年の冬に読んでいたぼくは、え、そんなにいい作品だったっけ、と少し驚いたものだが、それでも佳作程度には評価できる、といまでも思う。
 ところが、今度の "Spring" はといえば、あきまへんな。どんな小説にも中核にあるべき(とぼくの考える)物語の推進力が弱い。バネの力がない、と駄洒落を言いたくなるほどだ。それはともかく、これ、べつに春でなくてもいい話ではないでしょうか。
 ひょっとしたら、作者は春のもつ一般的なイメージ、「長く寒かった冬がおわり、新しい命が芽吹く華やかな季節というイメージ」を打ち破りたかったのかもしれない。それならそれで、定型を超えた強烈なテーマが欲しいところだが、おやまた移民問題ですか、としかぼくには思えなかった。
 しかも、その採りあげ方が、善玉・悪玉をはっきり色分けして取り組むという、およそブッカー賞候補作家らしからぬ仕事ぶり。これも同賞の質的劣化の証左なのか、それとも旧大英帝国に昔日の面影なしということなのか。
 ともあれ、この鬱陶しい季節、仕事を忘れて読みふける本に出会いたいものです。
(写真は、愛媛県大洲市〈フラワーパークおおず〉。去年の春、定年退職して初めて帰省したときに撮影。それがいまや何の因果か…)

f:id:sakihidemi:20180407115516j:plain