ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kali Fajardo-Anstine の “Sabrina & Corina”(2)

 その昔、「短編小説は閃光の人生」という秀逸なキャッチコピーがあった、と本書のレビューに書いたけれど、それは懐かしい〈フィーリング小説集〉のコピー。同シリーズの代表作はたぶん『ゲイルズバーグの春を愛す』だろう。いまでも単行本は現役なのかな。
 中でも、最終話「愛の手紙」には胸をえぐられたものだ。大枚はたいて入手した原書の最後のページには、こう書かれている。Under this were the words, I NEVER FORGOT. And neither will I.(p.224)
 お読みの方にしか通じない内輪話になるが、おみごと! としか言いようのないエンディングである。短編は必ずしも〈落ち〉を必要としないけれど、さりとて最終行のあとに余韻がのこらないのも味気がない。「捥(もぎ)られ、折られた蟹の脚が、皿のまわりに、ニス塗りの食卓の上に散らばっていた。脚の肉をつつく力に手応えがないことに気付いたとき、彼は杉箸が二つに折れ掛かっていることを知った。」
 こちらは吉行淳之介の「驟雨」の結末。この最終行めざして、それまでの内容が収斂していくと言っても過言ではあるまい。吉行は、締めのことばに苦吟した作家のひとりだと思う。
 ひるがえって、今年の全米図書賞最終候補作  "Sabrina & Corina"(☆☆☆★) のほうは、

「どの話も途中はまずまずなのだが、最後、主人公の人生を象徴する瞬間のインパクトがやや弱い」。She [The sugar baby] twirled in the air as her sugar insides spiraled out of her body from a hole Robbie's foot had torn in the bag. The sugar blew with the wind, sprinkling the dirt with bits of white. How pretty, I thought, and she landed with a thud.(p.24)
 第一話 'Sugar Babies' の幕切れである。これはなかなかいい。クラスメートの Robbie ともども、「学校で渡された砂糖の袋で模擬育児に励む女の子が〈乳児〉と別れ、そこへ勝手気ままな母親との別離の悲しみが重なる」。
 表題作の最後はこうなっている。Sabrina appeared from the shoulders up, shouting something I couldn't make out. It was winter's end. The road shimmered with black ice. All I could see was Sabrina's long hair coiling around her neck, pale as the moon.(p.46)「仲のよかった従妹が絞殺され、その死に化粧をほどこした若い女が、自由奔放ながら心に傷をかかえていた従妹の生前の姿を思い出す」シーンだ。
 以上がぼくのお気に入りで、メモを読み返すと、ほかにもいくつか、ああ、これはよかったなと思い出す話もあるけれど、だいたいどれも「似たような人物設定と筋書きで、一気に読むと飽きがくる」。
 それより何より、上のふたつのような物語を読んだからといって、毎度おなじみのセリフだが、目からウロコが落ちて茫然となるわけではない。ぼくは短編を読むとき、新鮮なアイデア、完全なプロット、印象的な結末、という定番の三要素にくわえ、人生の瞬間を鮮やかに描いたものか、人生の真実を思い知らせるものか、という二点も(大まかで主観的な判断だけど)評価の基準にしている。このうち最後の条件を満たす作品は、とくに現代文学では、そうざらにはありませんな。
(写真は、パリのたぶんオスマン通りの街並み。今年の夏に撮影)

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