ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ruth Ozeki の “The Book of Form & Emptiness”(1)

 2022年の女性小説賞受賞作、Ruth Ozeki の "The Book of Form & Emptiness"(2021)を読了。彼女がメジャーな賞レースで脚光を浴びたのは、2013年のブッカー賞最終候補作、"A Tale for the Time Being"(2013 ☆☆☆★★★)以来だろうか。さっそくレビューを書いておこう。

The Book of Form and Emptiness: A Novel (English Edition)

[☆☆☆★★] 本がひとに語りかけ、ひともまた本に語りかける。こうしたメタフィクション的な対話がなければ、本書はほとんどふつうのホームドラマ、そして青春小説である。日系アメリカ人の少年ベニーには、ジャズ・ミュージシャンだった父ケンジの死後、本だけでなく、いろいろな物の声が聞こえる。時にはその声が映像として可視化。マジックリアリズムに近い設定だが、これもなければやはり、「ふつうのホームドラマ、そして青春小説である」。ケンジの死後、妻のアナベルは失業、アパートからは立ち退き寸前。このアナベルとベニー親子の断絶・すれちがい、そして和解はほぼ定石どおりだが、上の超絶技巧ゆえに通俗性は認められず、むしろその日常的な展開が物語としてはおもしろい。超能力を精神障害と勘ちがいされたベニーは施設で美少女アリスと出会い、恋をする。これまたよくある話なのに、同じく〈非日常性のなかの日常性〉が奏功して読ませる。本書の進行係もつとめる「本」はベニーに「かたちのなさと、むなしさ」という存在の本質を教え、アナベルが心の救いを求めた日本人の禅僧アイコンもその著書で、「かたちのはかなさと、あらゆるもののむなしさ」を説く。これが結果的にアナベルとベニー親子の悟りへとつながり、ふたりはケンジの死によるショックから立ち直る。と解釈しなければ、本書の「かたちとむなしさ」理論やメタフィクションマジックリアリズムは意味がない。この読みが正しいとして、トラウマとその克服という平凡なテーマを、よくぞここまで超絶的な作品に仕上げたものと感心する。ゆえに高く評価したいところだが、日常と非日常のパターンが見えたところで飽きてしまい減点した。