ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Lynch の “Prophet Song”(3)

 外は冷たい雨。拙宅の前の公園を見わたすと、きのうの夕方、きれいに掃除したばかりのベンチまわりに桜の落葉がみごとに散乱している。
 桜といえばもちろん春の季語で、古来、小野小町をはじめ多くの歌人俳人たちに詠まれてきた。大昔の拙句だが、
     はらはらとめまひか夢か花吹雪
 その花吹雪以上に困るのが秋桜の枯れ葉だ。なにしろ量が多く、しかもゴミと化す期間が長い。今年もたしか九月のおわりごろから散りはじめ、このところ一日でも放っておくと、たいへんなことになる。退職後、公園の清掃はいつのまにか日課になってしまった。
 とそんな世界の片隅から目を外へむけると、落葉がどうのこうのというのはいかにもノンビリした話だ。二十世紀は戦争と革命の世紀といわれたが、今世紀はまるで戦争とテロの世紀になってしまったかのようだ。9.11事件が起きたのは2001年。思えばあれが象徴的な幕開けだったのかもしれない。
 東洋の島国もけっして無縁ではない歴史の流れで、なにやらキナくさいが、一方、同じ島国でもアイルランドはどうか。世事にうとい目には「今日、流血の惨事はさいわい過去のものとな」ったように見えるが、火ダネは相変わらずくすぶっているのかもしれぬ。宗教とナショナリズムは人びとの根っこの部分にかかわっているからだ。
 ゆえに、「アイルランドに出現したディストピアと、それにつづく内戦を描いた近未来SF」である本書は、「現地の読者には一定のインパクトを与えるものと思われる」。
 そのSF仕立てというところが目新しく、従来は去年のブッカー賞候補作 "The Colony", "Small Things Like These" のように、アイルランド問題といえば、「歴史小説もしくは歴史にヒントを得た小説の題材として扱われるのが通例」だった。

 両書について、ぼくは過去記事でこうまとめている。「どちらも北アイルランド紛争が激しかった時代の物語だが、両書とも、ロシアによるウクライナ侵攻という未曾有の事態にもじゅうぶん当てはまる問題を内包している」。

 それにつづいて、ぼくはこうも書いた。「来年はおそらく文学の世界でもウクライナ問題が扱われるのではないか。それがどんなかたちで現れるのか見守りたいところだ」。
 で、この "Prophet Song" がおそらくウクライナ問題を扱った第一例ではないか、というのがぼくの見立てである。
 もちろんこれはあくまで推測にすぎない。しかも正確には、ウクライナではなくロシアの問題。Paul Lynch がいつごろから本書の構想を練りはじめたのか定かではないが、それにしてもそう推測したくなるほど、ここで描かれる「ディストピアの根源に(は)ナショナリズムがあり、国家緊急事態法のもと反体制派が逮捕拘禁され、厳しい情報統制が敷かれるようすは、明らかにウクライナ侵攻開始後のロシア国内情勢と酷似」している。(この項つづく)

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。もっか、アマゾンUSの Cowboy Country 部門で売り上げ第4位)

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