ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Moby-Dick" と「闇の力」(13)

 エイハブのように、たとえ本人は絶対的な正義を追求しているつもりでも、それはこの世では相対的な正義に変質せざるをえない。それが現実だ。万人にとってひとつの神の正義が確立されたためしはないからだ。そしてその変質の過程で、絶対的な正義は絶対的に殺戮をもたらしてきた。この「所変われば正義変わる」、「人の頭の数だけ正義がある」現実、そして正義が虐殺を生む現実において、エイハブが求めたような「理想主義的ヴィジョン」は、第三者の目にはどのように映るのだろうか。
 「鯨の白さ」の章でイシュメールが述べている白の意味をいくつか拾ってみよう。「数ある民族のなかにあっても、この色に何がしかの格別に高貴な資質をみとめないものはまずない。…白色は人間の共感やその他のうるわしい感情を象徴するためにも用いられた…もっとも厳粛な宗教上の秘儀においてさえ、白は聖なる無垢と権威の象徴とされている。…甘美なるもの、高貴なるもの、崇高なるもののすべてをふくむ連想をこうして集めてみても、この色の観念の根源にはとらえがたい何かがひそんでいて…われわれの魂をおびやかすのである。このとらえがたい性質があればこそ、白を比較的温和な連想と切りはなし、本質的に恐ろしいものとむすびつけるばあい、その恐ろしさは極限にまで達するのである」。(八木敏雄訳)
 このあとも延々と説明が続くが、イシュメールによれば、要するに白は、崇高なものと恐るべきものを同時に含んでいて、それがなぜか人間を惹きつける不思議な力を持っているというのだ。ふたたび同じ箇所を引用しよう。
 それにしても、われわれはまだ白の呪術を解明していないし、なぜ白がわれわれの魂にこれほどつよく訴えかけるかについても知らない。そのうえ、さらに不可思議、さらに不吉なことに――すでに見てきたように、白は精神的なもののいちばん意味ぶかい象徴であり、いや、キリスト教の神のヴェールそのものでありながら、同時に、人類にとっていちばん恐怖すべきものを象徴する強烈な符丁なのである。
 イシュメールが見た白鯨の意味は既に明らかだろう。それは人間には計り知れぬ「闇の力」で人間を惹きつける理想主義的ヴィジョン、絶対的正義の象徴である。それはエイハブをはじめ、現実の世界ではロベスピエールを、レーニンを、ヒトラーを、スターリンを、毛沢東を、現代のテロリストを、反テロ戦争の指導者を惹きつけてきた。言い換えれば、人間は絶対的な正義を「高貴なるもの、崇高なるもの」として追求してきた。そしてその結果、相対的な正義と正義が衝突し、恐ろしい流血の惨が生じた。
 白鯨とは、エイハブにとっては根元的な悪の象徴だが、イシュメールにとっては理想主義的ヴィジョンの象徴である。そしてエイハブがひたすら「絶対の追求」に走るのに対し、イシュメールはそれを客観的に眺めようとしている。ただ、そのイシュメールも、最後にはエイハブの衝動に巻きこまれてしまうのだけれど…。(続く)