その年の夏休みが終わり、教室で出会った仲間の一人と、どんな本を読んだか話し合う機会があった。D. H. Lawrence、George Orwell、Aldous Huxley、Graham Greene とぼくが報告したところまでは、フムフムなるほど、という反応だったが、Iris Murdoch の名前を挙げたとたん、「え、なんで Murdoch なの?」と鋭く聞き返された。「いや、その……」。ぼくは答えに詰まってしまった。
ぼくの大学時代、少なくとも学生たちの間では、Iris Murdoch の評価はまだまだそんなものだったのである。Lawrence や Graham Greene ほどの大家ではなく、読むのが当たり前とは思われていなかったのだ。
ぼくが返答に窮したわけは、ほかでもないぼく自身、Murdoch を選んだ理由が希薄だったからだ。大学1年の教養英語のテキストが、たまたま "The Unicorn" だったせいかもしれない。ぜんぶは読まなかったが、ぼくの Murdoch 初体験。なぜか心に残り、たしか10年ほど前に最初から読み直し、いたく感動した。
いまネットで調べると、処女作 "Under the Net" は1954年刊。今回再読することにした "The Bell" は同58年。"The Unicorn" は63年。ちなみに、69年に "The Nice and the Good" 、70年に "Bruno's Dream"、73年に "The Black Prince" がそれぞれブッカー賞の最終候補作に選ばれ、78年にはご存じ "The Sea, The Sea" で同賞を受賞。華々しい活躍ぶりだが、ぼくは読みかじった "The Unicorn" と、この "The Bell" を除き、どれも手にすることなく学生時代を終えてしまった。そもそもブッカー賞なんて聞いたことがなく、先生も先輩も友人も後輩も誰ひとり口にしなかった。同賞の第1回は1969年。当時はまだ歴史が浅かったということだろう。
そんなわけで、なぜその夏、大家たちの作品に加えて "The Bell" を読もうと思ったのか、Murdoch を読むにしても、なぜ "The Unicorn" ではなかったのか、自分でもよくわからない。おそらく当時も確たる理由はなかったのではなかろうか。
ぼくにしては珍しく、ずいぶん昔話を続けている。たぶん何気なく選んだにちがいないこの "The Bell" に、ぼくは完全にノックアウト。その年の夏休みで、それどころか、ぼくの青春時代で最も思い出ぶかい本になってしまったからである。
(写真は、宇和島駅前にある蒸気機関車のレプリカ)。