ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Bell" 雑感(1)

 昨秋、本ブログを再開してから今まで採り上げたのは、わずか4冊にすぎない。Herman Hesse の中短編集 "Klingsor's Last Summer"、Stendhal の "The Red and the Black"、Thomas Mann の短編集 "Death in Venice"、そして Tolstoy の自伝小説3部作 "Childhood, Boyhood, Youth" である。
 どれも定評のある作品ばかりで、新しい角度から斬り込めなかったどころか、おそらく陳腐な感想や勘違いのレビューしか書けなかったような気がする。がしかし、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながらブログを綴ることによって、少なくとも作品への理解がなんとか進んで行ったとは言えるかもしれない。
 それをなぜ公開しているかと言うと、ただ私的な読書記録を書くだけでは自分の目しか頼るものがない。けれども、それを公開するとなると、当然、他人の目も意識するようになる。そういう意識が働くことによって、多少なりとも客観的に作品に取り組むことが可能になるのではないか。ぼくにとって、ブログとはそういうものである。
 脱線してしまった。上の4冊に話を戻すと、Tolstoy の作品を除けば、どれもぼくが青春時代に読んだものばかり。作家という点では、Tolstoy もふくめてぼくの読書の原点とも言えるものである。つまり、ブログの再開以来、ぼくは原点を見直す作業を続けていることになる。
 この路線で行くと、Dostoevsky はどうした、という声がまっ先に聞こえてくる。Emily Bronte も英語では未読なのが気になる。Hemingway の "A Farewell to Arms" も、死ぬまでにもう1回は読まねば。中1のとき、亡父に買ってもらった世界文学全集で40回以上読んだだろうか。大学に入り、英語力の衰えを感じて取り組んだのが Penguin Books 版。それが結局、今の読書傾向を決定づけているような気がする。
 と、いろいろ迷った末、結局読むことにしたのが Iris Murdoch の "The Bell" 。40年前の夏休み以来の再読である。
 当時ぼくは、英文学の主要な作品を英語で読んだことがないのが非常に気がかりだった。"A Farewell to Arms" を英語で読んだあと、ぼくが手に取ったのはアメリカのハードボイルド・ミステリ。そろそろイギリスのものも、と思って選んだのが Dick Francis や Alistair MacLean など。つまり娯楽小説しか馴じみがなかったのである。
 これではいかん、とその年の夏、ぼくは一念発起した。で、Shakespeare をはじめ、高峰ぞろいの広大な山脈の中から選んだのは、いま思い出した順に、D. H. Lawrence の "Lady Chatterley's Lover"、George Orwell の "Nineteen Eighty-Four"、Aldous Huxley の "Brave New World"、Graham Greene の "The End of the Affair"、"The Heart of the Matter"、"The Power and the Glory"、"Brighton Rock"。このときまで Graham Greene は、彼の言うエンタテイメント系列の作品しか読んだことがなく、好きな作家だけに気になっていた。それから、なぜか1冊だけアメリカ人作家のもので、Flannery O'Connor の "Everything That Rises Must Converge"。そして最後に取り組んだのが、今日から読むことにした "The Bell" というわけである。
(写真は宇和島駅前にある、郷土の偉人、大和田建樹の詩碑。大和田は明治時代の作詞家で、「汽笛一声新橋を……」という〈鉄道唱歌〉の歌詞が詩碑に刻されている)。