ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joyce Carol Oates の “Expensive People”(3)

 宇和島に帰省3日目。ホームで母の話を聞いたり、買い物や、誰もいない実家の掃除や、墓掃除をしたり、けっこう忙しい毎日だ
 きょうはうれしい出来事があった。その昔ぼくもお世話になった鶴城幼稚園の写真を撮っていたら、たまたま先生がいらっしゃったので、お話をうかがったところ、なんと今年で創立百周年を迎えたという。

 いただいた記念誌の卒園写真を見ながら、担任だった大塚恵美子先生の話をしたところ、なんと上記の先生は、大塚先生のご子息の奥様とのこと。聞けば大塚先生は、とうに他界されたという。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 卒園写真には、いつもニコニコされていた故・森場政吉園長先生のお姿もあり、思わず落涙してしまった。 
 閑話休題Joyce Carol Oates の "Them" は相変わらずおもしろい。が、まだ雑感を述べるほど進んでいないので前回の話を続けよう。
 「あれほどの紙幅を費やすまでもなかった」、というのが "4321" についてのひと言だが、それは今年のブッカー賞受賞作、George Saunders の "Lincoln in the Bardo" にもほぼ当てはまる。要するに「饒舌なナンセンス」。「死とは悲惨なもの」というだけのテーマに対して、あれほど「爆発的な言葉の乱舞」がほんとうに必要だったのですかね。
 ただ、「これだけがんばってるんだもの、★をひとつオマケしなくちゃ」という気はする。「言語芸術としての文学、ここに極まれり」と言えるほど、マジックリアリズムをはじめ、いろいろな叙述形式が駆使されているからだ。
 その点、同じ☆☆☆★★★ながら、"4321" 以上に凝った作りであることは間違いない。それゆえ栄冠に輝いたのは、たぶん順当な結果だろうと思います。ぼくの読んだイギリス作家の候補作は、2冊とも「いかにも弱かった」から。
 とにかく今年に関するかぎり、"4321" といい、"Lincoln in the Bardo" といい、アメリカ馬のほうが優勢なブッカー賞レースだったかも、と思うのだが、アメリカ文学のほうも決して安泰とは言えませんな。
 なにしろ「饒舌なナンセンス」。無駄に長い作品が多いような気がする。もっとマメに新作を追いかけないと断定はできないけれど、少なくとも、Joyce Carol Oates の "Expensive People" や、いま読んでいる "Them" などは、もちいられている技巧に必然性があり、分量的にも当然の長さだと思う。
 たまたま読んだ昔の作品がよかっただけなのかな。それとも、文学はこの先、洋の東西を問わず、ほんとに衰退していくんでしょうか。いわゆる洋書ファンでも、文学というより語学畑の人が多いようだし。
 と、ここまで書いて気がついた。いちばん「無駄に長い」のは、ぼくのオシャベリですな!おしまい。