ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Them" 雑感(2)

 世間は3連休だったが、ぼくは退職前、最後の仕事のひとつでけっこう忙しかった。こんなとき、いつもならストレスがたまるものだが、もうじき辞めると思うとそれほど苦にならない。
 "Them" のほうは、相変わらずカタツムリくんペース。が、それでもようやく半分までたどり着いた。読みはじめてから気がついたことをいくつか書いておこう。
 まず、いくら純文学の中では多作で知られる Joyce Carol Oates のこととはいえ、この1970年前後に噴き出した彼女の創作エネルギーは半端ではない。前回復習した "A Garden of Early Delights" でアメリカの生活史、庶民の「生々しい現実」をえがいたあと、昨年末に読んだ "Expensive People" では「俗悪な通念の浅薄さ、欺瞞を容赦なくあばき出し」、そしてこの "Them" は大部の家庭小説。よくまあ、これほど密度の濃い作品を立て続けに書けたものだ。その昔、ロスかどこかで食べた分厚いステーキを思い出した。
 しかも、こってり味で長いだけが取り柄の小説ではない。作品のスタイルをみごとに変化させている。"Expensive People" は手の込んだメタフィクションだったが、"Them" ではまた普通の叙述形式に回帰。何でもないことのようだが、ぼくの見るところ、ホントはどうにでも書けるんだけど、これがベストの書き方よ、と Oates は言っているような気がしてならない。
 「普通の」と形容したが、たとえばこんなくだりはどうだろう。Their father sat across from them, silent again. He must have been thinking of something else, not hearing them. What did their father think of? Of his job? Of his sick, troubled mother? Of her Social Security pension? Of the car breaking down again? Of the rent on the house? Of the niggers moving in a few blocks away? Of his wife's sullen padding in bedroom slippers out in the kitchen? Of supper, pork chops frying in a pan?(pp.107-108)
 こんな調子でえんえんと続くので引用をやめるが、これを読めば、この一家の暮らしぶりが手に取るようにわかるだろう。それも客観描写ではなく、描出話法である。「普通の」と言うだけで片づけてしまってはいけないと思う。
 ジャンルとしては、今のところ、いちおう家庭小説かな。そのことにぼくが気づいたのは、Jane Austen の "Emma" の一節が出てきたときだ(p.182)。何とも遅まきなボケた話だが、そんなに時間がかかったのは、それまでずっと、'them' とは一体どういう意味だろうとだけ考えていたからである。
 長くなった。おしまい。
(写真は、宇和島市妙典寺の裏山にある桜の木。小さい頃は桜とは知らず、よくセミを捕る木としか認識していなかった)