Orhan Pamuk の "The Museum of Innocence"(原作2008、英訳2009)を読了。周知のとおり、これは彼のノーベル文学賞受賞第一作である。さっそくレビューを書いておこう。
[☆☆☆☆] 開巻早々、これほどの大冊たるべき内容なのかと疑った。婚約をひかえた金持ちの男が貧しいブティックの店員と恋に落ちる。なるほど無類におもしろいが、明らかにメロドラマだ。しかも途中まで、ほぼ予想どおりの展開。その後もいくつか欠点らしきものが気になった。くどすぎる。男はただ純粋で女に夢中。女も美人というだけで彫りが浅い。しかしこのメロドラマ、断じてお涙頂戴式のステロタイプではない。1970年代から80年代当時、トルコがたしかに経験したものと思われる西洋文化と固有の文化との衝突が、ふたりの恋愛に端的に象徴されているからだ。西洋の影響を受けながらも古い伝統に縛られた人間同士でなければ、この悲恋はありえない。いわば西洋と東洋のはざまで彼らは悶え苦しんでいる。本書はまた、流れる時間を永遠に固定させようとする試みでもある。本来一時的なものである政治状況はあくまで背景にとどめ、恋愛という非政治的な要素を中心に据えることで社会から遊離。そこで生まれた永遠の時間のなかで「時間のない世界」を構築する。このとき、たえず変化する時間そのものが近代的概念なのだ、と作中人物は述べる。つまり「時間のない世界」とは反モダニズムの世界であり、それゆえその創造は伝統への回帰であり、ここにもまた西洋と東洋の衝突を読みとることができる。こうした文脈で「時間の固定化」を図るからには、たしかに細部にこだわらざるをえない。女が手にし口にしたもの、ふたりで観た映画のパンフレット、一緒にながめたイスタンブールの市街風景の写真などを収集展示することで、そのときどきに流れた時間を永遠の瞬間として記憶にとどめ、追体験し、それどころか、いまこのときもその時間を生きる。だからこそ「くどすぎる」ほどくどいのだ。男は恋愛だけでなく「時間の固定化」においても「純粋で夢中」なのだ。最後、オルハン・パムク自身が登場して男と対話、彼の物語を引きつぐメタフィクションとなるが、これもフィクションを一時的な絵空ごとではなく、現実化し永遠のものとする工夫の一環である。惜しむらくは、女の内面描写がやや深みに欠ける点だが、その純粋で激しい煩悶は、彼女の心理を反映した「無垢の博物館」の展示品から推し量るべきなのだろう。