ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joseph O'Neill の "Netherland" (4)

 昨日から志賀高原で2年ぶりにスキー。ケータイを使ってこれを書いているが、昨日は送信ミス。今日はさて、うまく更新できるかどうか。
 "Netherland" は主人公がニューヨークで体験したどん底時代の回想が中心だが、彼は現在、別居していた妻子と一緒にロンドンで生活し、精神的にもほぼ立ち直っている。それゆえ、本書の興味のひとつは、主人公がどうやって妻とよりを戻し、いかに危機を脱したかという点にある。
 ぼくは当初、主人公がクリケット狂の友人の感化を受けてクリケットにのめりこみ、身体を目いっぱい動かすことによって、あるいは試合や選手たちとの交流を通じて回復するのかと思ったが、その予想はものの見事に外れた。よくある感動的な「健全スポーツ路線」ではなかったのだ。
 また、こういう小説の定石どおり、主人公は別居中に女と関係するものの、それもやはり回復にはつながらない。ここでは安易な解決策はいっさい拒否されている。そもそも作者は処方箋を提供することにまったく関心がない。日常の些事から回想を生みだし、思い出に心の傷を重ねあわせてはいるが、その傷を癒やそうとはしていない。つまり、これはヒーリング小説ではない。
 立ち直りのきっかけは実にあっけない。ドラマティックでも何でもない展開だが、それだけにかえってリアリティーが増している。従って、読者はこの「解決編」でも、そう言えば自分の場合も、とわが身をふりかえらずにはいられない。
 結局、本書が「純文学」の作品たりえているのは、前回の繰り返しになるが、これがどの部分をとっても読み手の人生に関わりがあると思わせるようなディテールの確かさ、説得力を持っているからだ。というか、そんな作品をぼくは「純文学」のひとつと考えている。