ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Michael Thomas の "Man Gone Down"(1)

 昨日報告したとおり、Michael Thomas の "Man Gone Down" をやっと読みおえたのでさっそくレビューを書いておこう。これは周知のとおり今年の国際IMPACダブリン文学賞受賞作で、また一昨年のニューヨーク・タイムズ紙選定年間優秀作品のひとつでもある。

Man Gone Down

Man Gone Down

[☆☆☆★★★] 現代人のあやふやな存在理由、不安定な存在基盤を浮き彫りにしながら、観念的な思索ではなく現実に即した心の中の彷徨と、試練を通じて自己を確立しようとする人間の姿を描いた力作。大学講師まで勤めた有能な黒人の男が自己破産、白人の妻、そして子供たちと別れて友人の家に転がりこみ、家族生活の再建を夢見て悪戦苦闘する。ふと目にしたニューヨークの風景や人々の様子などから、人種差別や貧困、アルコール中毒、両親の離婚といった少年時代からの悲惨な体験が断片的に想起され、男はときに自己憐憫の淵に沈む。が、決して感傷に溺れることはなく、日雇いの大工仕事や酒場でのライブ演奏、賭けゴルフなどに従事して新しい生活のための資金を稼ぎ出す。そうした日常的な活動はパワフルな文体で即物的に描かれるが、そこには男の切羽詰まった心理、凝縮された感情が読みとれてハードボイルド・タッチ。緊張をはらんだアクションシーンもあり、それが「心の中の彷徨」、つまり過去の回想や、現在の不安と絶望、混乱に満ちた思索からなる内的モノローグと対照的で、その静と動のコントラストが鮮やか。妻子への思いがひしひしと伝わる静の部分はさらに、繊細かつ鋭敏な感覚で綴られた散文詩にまで昇華されている。個人の精神的危機、魂の試練をとことん描いたこの作品は、現代文学が文学として成り立つテーマと技法を端的に示した一例と言えるかもしれない。難解というほどではないが語彙レヴェルはかなり高く、上級者向きの英語である。