ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Andrei Makine の “Brief Loves That Live Forever” (2)

 Makine を読むのは、先日レビューを再録した "Dreams of My Russian Summers" (1995) に続いて8年ぶり2冊目。以前は書きもらしていたが、同書は95年のゴンクール賞受賞作である。『フランスの遺産』というタイトルで邦訳も出ているようだ。
 が、日本ではあまり知られていない作家かもしれない。ぼくも同書はジャケ買いだった。
 この "Brief Loves ...." のほうは、あいにく日本の出版社で飛びつきそうなところはないような気がする。ゴンクール賞と違って、国際ダブリン文学賞の最終候補作くらいではハクが足りない。内容的にもインパクトに欠けるし、一般受けしない地味な作風だからだ。
 でも、好きだなあ、こういうマイナー・ポエットって。"Dreams of ...." が「過去の一瞬を永遠に定着させようとする、『失われた時を求め』る試み」とすれば、こちらは、人生にいくつかある、永遠に続く一瞬の光景をえがいたものである。ぼくはたまたま愛犬を亡くしたばかりのせいか、「永遠に続く一瞬の光景」という、じつは言葉の矛盾かもしれない表現が少しも矛盾には思えない。
 レビューの書き出しは、本文の次のくだりを借用した。'The fatal mistake we make is looking for a paradise that endures. ... This obsession with what lasts causes us to overlook many a fleeting paradise, the only kind we can aspire to in the course of our lightning journey through this vale of tears.' (p.53)
 もちろん 'this vale of tears' とは「浮き世」、「つらく苦しいこの世」という意味だが、「涙の谷」という直訳も捨てがたい。たとえば、主人公の老人は青年時代、Kira という娘といっしょに白い花の咲き誇るリンゴ園の中を歩いたときのことを思い出し、こうひとりごちる。"That apple orchard is still in flower," I told myself. "Time has passed it by, leaving it behind in a moment that does not pass ...." Then I caught myself mentally addressing Kira, as on so many occasions druring these twenty years. The truth is, I have never stopped walking beside her along an endless avenue lined with snow-clad boughs. (P.121)
 これがなぜ「涙の谷」のひとコマなのか。ネタを割ると、「私」は Kira に思いを寄せていたが、Kira のほうは、ほかの男に夢中だった。
 と、ここまでならよくある話だが、Kira はじつはブレジネフ政権時代の熱心な反体制活動家で、彼女の相手も同じく活動家。「私」と Kira がリンゴ園を散策したのは、男がモスクワから遠く離れた地方に追放されていたときのことだった。
 その20年後、「私」は Kira の消息を耳にする。彼女は「私」との短い出会いの翌年、病没。一方、男のほうは健在で、今ではパリに住んでいる。Kira のことはさっぱり記憶にない。プレイボーイで、追放中もモテモテだったという。
 そんな背景を知って上のくだりを読むと、まるでリンゴの白い花が目に浮かんでくるようで、これはやはり、たしかに「涙の谷」のワンシーンである。と同時に、それが「激動のロシア現代史」のひとコマでもあるところが Makine らしい。まことに心にしみる小品でした。
(写真は去年の春、今は亡き愛犬の散歩中に撮った桜の花)