ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Melanie Dobson の “Chateau of Secrets”(4)

 きのうは仕事帰りに量販店に立ち寄り、「ワイルド・スピードX2」ほか数枚をまとめ買い。さっそく晩酌をやりながら見たが、たまにはこういう〈スカッと系〉映画もいいですな。
 小説もおなじで、いつもシンネリムッツリの純文学ばかりだと、もともとネクラのぼくはさらに落ち込んでしまう。そんな理由で手にした本書は、ひさびさのジャケ買いヒット作。まったく予備知識なしに読んだ、知らない作家の知らない作品が「当たり」だったときの楽しさは格別である。
 技法的に非常にすぐれていることは雑感で縷々述べたとおり。通勤中コマギレに読んだだけでも相当におもしろかったのだから、本来ならジェットコースターにでも乗っているみたいに、一気に物語の流れに運ばれていったことだろう。
 だから登場人物が善玉と悪玉にはっきり分かれている点など、瑕瑾にすぎない。というか、「適度に類型的とならざるをえない」のが文芸エンタテインメントなのだ。「作者によると本書は、ドイツ軍の中にユダヤ系兵士が存在したという意外な史実にもとづくもの」だそうだが、その史実から想像しうるストーリーの域を出ていない。これまた重スミ的なイチャモンである。ぼくは、こういう作品も大好きだ。
 一方、戦争という重大なテーマを採りあげながら、作者自身は相当に掘り下げているつもりでも、じつは「適度に」どころか極度に類型的なキャラづくりに終わっている作品がある。ぼくは、そんなエセ純文学が大嫌いだ。
 たとえば、書名を挙げるのみにとどめるが、(Jelinek 作品ではないほうの) "The Piano Teacher"(☆☆★★★)や、"The Garden of Evening Mists"(☆☆☆★)などである。とりわけ後者はブッカー賞候補作にもなったくらいだから、紛れもなく「純文学」のはずなのに、何ですか、あれは。紋切り型の歴史観や道徳観、政治的プロパガンダは、文学とは本質的に無縁のものである。
 それにくらべ、この "Chateau of Secrets" のほうは、エンタテインメントとして割り切った書き方をしているだけに、よっぽどスッキリしていて読み心地がいい。そのことを痛感した作品でしたね。
(写真前景は、里山からながめた宇和島市神田川原(じんでんがわら)。今年の春の帰省中に撮影。これが子供のころの行動範囲だった)