ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Orhan Pamuk の “The White Castle”(3)

 ここ数日、いままでサボっていた過去記事の分類をボチボチやっていた。中にはタイトルを見ただけでどんな本かすぐに思い出したものもあるが、それはレアケース。レビューを読み返してもピンと来ない本のほうが圧倒的に多い。
 そんなときは前後の記事から判断するのだけれど、それでも分類に悩む場合がけっこうある。いちばん困るのは、有名な文学賞の候補作でもなく、国や地域で分けることもできない、ほぼリアルタイムで読んだ現代小説。大半は英米の作品だ。
 それから、昔はいまのように採点していなかった。どうせなら分類のついでに点数評価も、と思ったのだが、そこで問題なのは、読後の第一インスピレーションによるものではないこと。いくらお遊びとはいえ、遊びにもルールがある。いろいろ考えながら、★を増やしたり減らしたりしている。
 点数の増減といえば、半年近く前に読んだ Orhan Pamuk の "My Name Is Red" もまだ確定していない。いまのところ、☆☆☆☆なのだけれど、あれは読了直後から★をひとつ追加するべきではないか、という気がしている。時代設定に問題があるというだけで、はたして減点していいものか。(その後熟慮の末、追加しました)。

 一方、この "The White Castle" の☆☆☆☆は、★をひとつオマケした結果だ。あ、本ブログのリピーターではない方が多いと思うので説明しますと、☆は約20点、★は約5点。故・双葉十三郎氏の『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』がパクリ元です。
 さて、ここから前回の続き。オスマン帝国の学者ホッジャに「いままで犯した最大最悪の罪は何か」と問いただされた村人たちは、simple lies, small deceptions; one or two dirty tricks, one or two infidelities; at most, a few petty thefts などを挙げ、ホッジャの要求する real sins は告白しようとしない(p.133)。というか、告白できない。思いつかないからだが、その答え方が面白い。we were in a Christian village. As for the questions Hoja pressed on the villagers, there was little change in them.(p.133) Later he said we should perform the same experiment in a Muslim village for comparison .... the fact was that they made more or less the same confessions and told the same stories as their Christian neighbours.(p.135) つまり、キリスト教徒もイスラム教徒も似たり寄ったりの返事だったというのだ。
 その報告を受けた皇帝は、文脈は異なるものの、やがてホッジャの奴隷であるヴェネツィアの青年にこう尋ねる。the sovereign would ask thoughtfully: must one be a sultan to understand that men, in the four corners and seven climes of the world, all resembled one another? .... he would ask once again: was it not the best proof that men everywhere were identical with one another that they could take each other's place?(p.151)
 本書は、青年とホッジャという「外見の酷似するふたりが激突の末、身分はおろか人格までも交換」する物語だけれど、その大きな流れに上のような細部を重ねあわせると、「人はみな罪人であるという点で等しい」と言えるのではないか。
 ぼくはキリスト教のことはうっすら知っている程度。イスラム教の知識は皆無。それどころか、仏教についても相当に怪しい。だから臆測になるのだが、「人はみな罪人である」というのは、どの宗教にもわりと共通する考え方かもしれませんな。
 これと前回の話を結んでみよう。Why am I what I am? という問いへの答えは「心の奥にひそむ秘密の真実」、すなわち real sins である。つまり、「罪こそアイデンティティ」である。
 結局、人はみな罪をおかす(欠点がある)ところが自分本来の姿であり、同時にまた、「みな罪人であるという点で等しい」。独断ですが、オルハン・パムクがこの "The White Castle" で言いたかったのは、要するにそういうことではないか、という気がします。「いささか図式的」なので減点したいところだけれど、大変な問題を扱った作品であることは間違いないでしょう。
(写真は、愛媛県宇和島市九島大橋。先月の帰省中に撮影。2016年に完成したもので、この架橋建設は島民の長年の悲願だった。何より救急車が通れるようになったのが大きい、と友人が教えてくれた)

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