ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ian Williams の “Reproduction”(2)

 先日、勤務先の今年(2019年)度の業績がほぼ判明。前年にくらべ相当悪化したものの、2月にぼくが在宅勤務でこなした分野では成功をおさめたので、やけ酒半分、祝杯半分、ほろ酔い気分で少しばかり高い買い物をしてしまった。財布のひもをゆるめられるのも、テンプの契約が切れる今月末までである。
 さて、新型コロナウイルスの問題についてちょっとだけ書いておこう。とうとうパンデミックと認定されたいま、個人でできることは限られているかもしれないが、ぼく自身はといえば、まず自分と自分にとって大切な人間を守る、ついで他人に迷惑をかけない、むやみに文句を言わないという3点を心がけているつもりだ。
 ごく当たり前の対応だと思うのだけれど、それがどうやらそうでもない事例が多々報じられている。その主な原因としては、正体と対策がいまひとつ不明のものへの恐怖感、およびそれから生じるパニックが関係しているようだ。そうした恐怖やパニックに打ち克つためにも正しい情報が求められるはずなのに、どれが正しいのか判断に迷うこともある。
 ぼくがそう感じるのは、ひとつにはマスコミの報道姿勢に強い不信感をもっているからだ。たとえばA誌によれば、2週間の休校措置が大変な混乱を招いているというが、B局によれば、台湾では「神対応」により感染が抑えられているそうだ。では、何が「神対応」なのかと思ったら、C紙によれば、その中には早期の休校措置もふくまれているらしい。ふむ、それなら現在、学校はどうしたらいいのか。
 不測の事態ゆえにマスコミ自身も混乱しているのかもしれないけれど、ひとつの情報源だけに頼ってはいけない、というのはいまに始まった話ではない。その点、ネットは取捨選択の余地が多いぶん便利だが、見出しを見ただけで報道姿勢を疑う記事もあり、完全には安心できない。比較的正しそうな情報を信じて身を守り、人に迷惑をかけたり、安易に他人を非難したりしないようにする。そう努めるだけで収まりそうな混乱も中にはあるのではないだろうか。
 混乱といえば、ここでやっと表題作の話題に戻るけど、終盤、シングルマザー Felicia のひとり息子 Army がその父親 Edgarと初めて会ったあと、Edgar はいろいろな名前で呼ばれる。ざっとメモしただけでも、Edner, Ender, Ergar, Eegar, Eeer, Eeree … なんじゃこりゃ。
 父親が権威を失墜した現代の家庭においては、その名前は一種の記号みたいなもので、どう呼ばれようとかまわない、と言いたいがゆえの設定かもしれないが、これもぼくには「読むのに煩雑な工夫」のひとつであり、無用な混乱を招くものとしか思えない。どうでしょうか。

(写真は、和倉温泉のホテルから眺めた七尾湾。先月撮影。『ゼロの焦点』でも、主な登場人物が終幕でヤセの断崖を目指す前、和倉温泉で一泊したことになっている)

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