Ivan Doig の "The Whistling Season" は子供の世界を普遍的に再現した少年小説の秀作だが、その感想を書いているとき、同じく少年が主人公でありながら、とてつもない傑作があることを思い出した。メルヴィルの『船乗りビリー・バッド』である。

Billy Budd, Sailor (An Inside Narrative Reading Text and Genetic Text)
- 作者: Herman Melville
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
- 発売日: 2001/09/01
- メディア: ペーパーバック
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ぼくは去年、このレビューを「超弩級の名作」と題してアマゾンに投稿(その後、削除)したが、実際に読んだのは大昔のことで、メルヴィルの作品には長らく接していない。それゆえドイグに話を戻すと、子供の世界を描き、その思い出を綴った "The Whistling Season" はとてもよくできているのだが、では文学史に残る傑作かというとそうではない。『ビリー・バッド』はもちろん5つ星の評価で、それどころか5つでも足りないくらいだが、ドイグのほうは星4つ。この評価を分ける基準はいったいどこにあるのだろう。
現代の作品のレビューを書くたびに思うのだが、19世紀の名作はもちろん、少なくとも文学史に残っている20世紀前半の作家のものと同列に論じることは非常に難しい。差が歴然としすぎているからだ。今年のブッカー賞候補作でも、例えばイアン・マッキュアンの "On Chesil Beach" など、それなりに面白いことは面白いのだが、9月5日の日記にも書いたように、同じ愛の断絶をテーマにしたロレンスの諸作と較べると余りにも次元が低い。
こうした新旧の差は、今さらぼくなどが指摘するまでもないことだが、いつも悩むのは、人生のさまざまな問題にふれながら深く追求することのない多くの現代作家の作品を評価するとき、ただ突っこみが足りないという理由だけで星の数を減らしていいのかということだ。小説の採点など、しょせん遊びに過ぎないと思いつつ、いざレビューを書くとなると、どうも遊びに徹しきれない。自分は何を基準にして星数を決めているのだろうか。
このような疑問にとり憑かれてから、ぼくはめったに5つ星をつけなくなってしまった。この問題については今日だけでなく、これから暇なときに少しずつ考えていこうと思う。