Jim Harrison の "Returning to Earth" を読んでいて思い出したのが Louise Erdrich の "The Painted Drum" だが、二作ともインディアンの血を引く人物が主人公であり、しかも主題まで共通しているのが面白い。
[☆☆☆★★★] ルイーズ・アードリックは現代アメリカ文学界きっての名文家のひとりといわれる。たしかに本書でも、その文章力は遺憾なく発揮されている。第一部が好例で、べつに目新しい話でもないのに、複数の人物を自然に配しながら、その関係や性格、心理を的確に描きわけ、精妙な風景描写を織りまぜることで、いつのまにか読者を物語の渦中へ引きこんでしまう。家族が寝静まった夜の場面など溜息が出るほどうまい。主筋としては、ネイティヴ・インディアンの血を引く中年女性が特製の太鼓を偶然入手、元の持ち主によって太鼓の数奇な由来が語られる。太鼓には精霊が宿り、不思議な魔力があるといわれ、さながらマジックリアリズムのような口承伝説だが、根本に流れているのは、生者が死者の霊を弔い、死者が生者の幸福を願うというインディアンの慣習や信仰である。祖先はその昔、愛と憎しみを経験し、現代に生きる家族や男女もまた葛藤のただなかにある。そうした生と死の世界を結ぶものが魔法の太鼓なのだ。この観点から第一部と結末に登場する女性を見直すと、彼女もやはり生死の絆を意識しながら生きている。関係した男への微妙な感情、亡き父や妹の思い出。うっとりするような幕切れが読後いつまでも心に残る佳篇である。 …これまた昔のレビュー。ジム・ハリスンの作品よりこちらのほうが物語性豊かで読みやすく、結末もいっそう感動的だが、その感動の本質は "Returning to Earth" が与えるものとまったく変わらない。つまり、「死とは一人の人間の消滅ではなく、死者と生者を結ぶ強い絆であるという…メッセージ」そのものに胸を打たれるのである。
生と死の絆は本書の場合、上に書いたとおりインディアンの魔法の太鼓によって結ばれているが、"Returning to Earth" では、死者の霊が生きている動物に乗り移って生者を見守る、という同じくインディアンの口承伝説の形で示される。こういう伝説を迷信として片づけるのはたやすいが、ではもしそんな迷信や信仰が何もなかった場合、現代に生きる者にとって死者とは何なのだろうか。ルイーズ・アードリックもジム・ハリスンもそこまで意識して小説を書いているわけではないが、二人のメッセージを読むとそんな疑問に駆られる。ぼくたちは、何をよりどころにして過去の人々との結びつきを考えているのだろうか。
もっと端的に言えば、宗教なくして先祖との結びつきはあるのか。もはや宗教を信じられない現代人にとって、過去の文化を尊重する意味はあるのか。T・S・エリオットは『文化の定義のための覚書』でこう述べている。「ひとつの宗教という時、それはひとつの国民の生き方のすべて」であり、「その生き方なるものが同時にまたそのままその国民の文化」である。つまり、宗教と文化と国民の生き方は同一のものであるというのだが、このエリオットの定義に従えば、神なき時代の人間は一体どう生きればいいのか。
話が大きくなったが、アードリックやハリスンの作品からは、作者の意図にかかわらず、実はそんな問題も読みとれるのである。マルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』で述べたように、「宗教は、悩めるもののため息であり…民衆の阿片である」と言い切れるのなら問題はないのかもしれないが、そこまで無神論に徹する自信がない一方、特に何を信仰しているわけでもないぼくは、生と死の絆を描いた作品を読むと、感動と同時に絶望にも似た不安を覚える。過去から現在、そして未来へと流れる時間の中で、ぼくは何をよりどころに生きているのだろう。