今年のオレンジ賞受賞作、Rose Tremain の "The Road Home" を読了。かなり面白かった。
[☆☆☆★★★] タイトルとは裏腹に、本書の大半を占めるのは、東欧の田舎町からロンドンに出稼ぎにやってきた男レフの苦労話。移民系作家でもない作者が移民の生活を丹念に描いた正確無比な筆致にまず驚かされる。登場人物の心理や性格、関係、主筋の展開など、どの要素もすんなり頭に入り、ここにはまさしく英国小説の長い伝統が息づいている。故国に住むレフの老いた母と幼い娘、亡き妻の思い出がよみがえる一方、安い賃金でこき使われながらレストランで料理をおぼえ、そこで出会った女と激しい恋に落ち、その恋がやぶれるや、こんどは田舎に移り住んで過酷な農作業に従事。とにかく悪戦苦闘の連続だが、ロンドンへむかう長距離バスのなかで知りあった女や、間借り先の主人、養老院の老人とのふれあいなど、孤独と絶望のうちにも、ときにユーモラス、ときに心温まる場面が混じり、その悲喜こもごもが本書いちばんの読みどころだ。やがて人生の転機につながる妙案を思いついたレフがどんな行動に出て、どんな結末になるかはほぼ想定内。題名どおりだが、辛酸をなめつづけた男のしあわせを願わない読者はいないだろう。長編にして連作短編集のおもむきもある佳篇である。 …コスタ賞こそ逃したものの、同賞の受賞作、A.L.Kennedy の"Day" との差は紙一重。好みによってこちらに軍配を上げる読者もいることだろう。ぼく自身は、戦争という「極限状態におけるさまざまな感情を凝縮させて表現している点」で "Day" のほうにより深い感銘を覚えたが、本書の起伏に富んだ劇的な展開には強烈なパンチ力があり、"Day" 以上の「売れ筋」として日本の出版社が目をつけそうな気がする。("Day" の詳細は今年3月3日の日記 http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080303/p1)
オレンジ賞の他の最終候補作は Charlotte Mendelson の "When We Were Bad" しか読んだことがないが、「本質的にはコップの中の嵐」を描いたホームドラマの同書より、この "The Road Home" のほうが優れていることは間違いない。ショートリストに残らなかった Elif Shafak の "The Bastard of Istanbul" との差は…ううむ、これも好みによりけりか。破天荒な面白さという点では Shafak のほうが上だが、本書には「英国小説の長い伝統」に支えられた堅牢な構成に加え、「強烈なパンチ力」もある。3冊を読み較べた限り、Rose Tremain のオレンジ賞受賞はまず順当なところと言えそうだ。("The Bastard of Istanbul" の詳細は今年5月23日の日記 http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080523)