ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Dostoevsky の “The Idiot”(1)

 Dostoyevsky の "The Idiot" を読了。Richard Pevear と Larissa Volokhonsky の夫妻が英訳した Vintage 版で読んだのだが、いやもう、めっちゃくちゃオモロー! おかげで、またまた長いレビューになってしまった。最長記録の更新だ。おしゃべり編は後日にしよう。

[☆☆☆☆★★] ロシア語と対照する力はないが、英語だけで判断するかぎり、じつにみごとな翻訳だと思う。19世紀のロシアやフランスの小説の英訳には、文体的に古色蒼然とした印象を与えるものもあるが、本書の英語は新鮮かつ流麗、躍動感に満ちている。古典が新しい生命を吹きこまれてよみがえり、まるでドストエフスキーが現代作家のように感じられるほどだ。……いや、つい筆が滑ってしまった。内容的にはやはり歴とした古典である。人間の心理、そして真理をこれほど深く洞察し、その洞察をこれほど劇的に表現できる作家は、もはや現代にはいない。ひさしくいない。とにかく最後の最後まで目が離せず、心臓はドキドキ鳴りっぱなし。月並みなセリフだがスリルとサスペンス満点で、終盤の盛り上がりだけ見れば、ドストエフスキーの五大長編のなかでも第一のできばえではなかろうか。ホームドラマ、喜劇、大衆小説など、本書にはさまざまな要素がある。ちょうどシェイクスピアが悲劇と喜劇を書きわけたように、ドストエフスキーも『悪霊』と『白痴』を好一対のように創作したといえるのかもしれない。前者が「頭の悲劇」なら、こちらは「心の悲喜劇」。いや、両書ともそんな単純な図式で片づけてはならない。話を『白痴』にしぼると、これは一面、凄まじいメロドラマである。愛と憎しみ、嫉妬、欲望、同情心、虚栄心……人間ならだれしも持っている美醜の感情がそれぞれの人物に肉化され、絡みあい、その葛藤から思わぬ事件が起こる。まさに人間洞察の帰結である。とりわけ善の悲劇、美の不幸。神ならぬ人間の立場としては、主人公ムイシュキンほどの善人はまず考えられない。その、たぐいまれなる純真な心に感動しない者はいない。けれども一方、ムイシュキンは善人であるがゆえにトラブルに巻きこまれ、悲劇を招く。その点、本質的にはキリストの悲劇に通じるものがある。そういう根本問題が愉快な世間話やドタバタ喜劇、掛けあい漫才などと共存しているところがすごい。そこへまた、自殺論や、代用宗教としての社会主義の考察などもいり混じる。まさしく壮大な人間絵巻である。