ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Loius-Ferdinand Céline の “Journey to the End of the Night”(2)

 先週は3連休もあったけど、ぼくはそんなことに関係なく最後の仕事の突貫工事。近所の公園で行われたどんど焼きに参加したくらいで、あとはほとんどデスクに向かっていた。
 その甲斐あって、きょうの午前中でやっと一連の作業が終了。来週からは残務整理のようなものだ。テンプの契約は3月までだけど、2月からは仕事らしい仕事はない、ということになっている。
 反面、がんばりすぎて、また風邪をひいてしまった。いまも頓服薬を服んだところ。いちおう、効いているような気もする。
 そんなこんなで読書のほうはサッパリ。去年のギラー賞受賞作、Ian Williams の "Reproduction"(2019)をボチボチ読んでいる。いまのところ、☆☆☆★くらい。カナダに住むカリブ系移民の若い娘が、ひょんなことからドイツ系の中年実業家と関係をもつ話で、かみ合わない会話からジグザグに発展していくところが、まあ面白い。
 一方、先週やっと読みおえた表題作は、読みはじめたときから最低でも☆☆☆☆★と思っていた。★をひとつ(約5点)追加すべきかどうか迷ったが、結局進呈してしまった。読書録を調べると、最高点をつけたのはちょうど1年前、Evelyn Waughの "Sword of Honour"(1965)以来である。 

 あちらも定評のある傑作で、恥をしのんで catch up するのはいいけれど、名作の名作たるゆえんを確認することにどれだけ意味があるのかは大いに疑問だ。たとえば Joyce の "Ulysses"(1922:原書は未読)をいまさら読んだところで、どんな新しい発見ができるか怪しいものである。おそらく何を言っても二番煎じ、三番煎じになるだけだろう。
 "Sword of Honour" のときもそう思った。こんどの "Journey to the End of the Night" にしても、新発見どころか、素人文学ファンのトンチンカンな感想しか「レビュー」にまとめられなかったような気がする。このブログなんて、ぼくにはしょせん自己確認(へたすると自己マン)に過ぎない。 

 と愚痴をこぼしつつ、少しだけ振り返ってみよう。評価はさておき、読みはじめた当初、Céline はぼくの勝手な予想に反して、意外に〈まとも〉な作家だなと思った。第一次大戦の戦場から幕をあけるのだが、そこで戦争の狂気と不条理がばっちり描かれていたからである。
 いわゆる反戦小説の走りは海外文学の場合、レマルクの『西部戦線異状なし』(1929)かもしれない。ぼくは未読で、リュウイス・マイルストン監督の同名映画(1930)のほうしか知らないけれど、内容的にはあれを観れば十分だろうと思うので、原作のほうは今後もパスすることになりそうだ。 

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 で、"Journey to~" が書かれたのは1932年。このことを考えると、本書はその後、掃いて捨てるほど出現した反戦小説や反戦映画の先駆的な作品のひとつと言えるかもしれない。最初の70ページくらいまでは。問題は、そのあとである。
 いかん、ここでまた頭が痛くなってきた。きょうはおしまい。(この項つづく)