ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jeffrey Lewis の "Meritocracy: A Love Story"

 ぼちぼち読んでいる本はあるのだが、なにしろ多忙を極め、この土日も仕事三昧。そこで今日も昔のレビューの焼き直しだ。

[☆☆☆★★★] 「愛とはなにか、ぼくにはわかっていたのだろうか」。こんなセリフも出てくる本書は文字どおり正統派の青春小説。ハーマン・ローチャーの『おもいでの夏』を思わせる書きだしで、あの映画にも原作にも感動した読者なら、懐かしさのあまり胸がきゅんとなるはずだ。人物関係もやや似ている。ヴェトナム戦争の初期、徴兵を逃れた大学の友人たちとは逆に、兵役を志願した上院議員の息子ハリー。入隊直前の夏の末、ハリーの海辺の別荘ですごした一日のできごとを友人のひとりが回想する。どの行間からも、青春の切ない思い、やるせなさがひしひしと伝わってくる作品である。ばか騒ぎに忍び寄る死の影、笑顔にひそむ良心の呵責、末は大統領かというヒーローへのあこがれ、その憧憬に混じる打算、ハリーの美しい妻に寄せる「ぼく」のひそかな恋心。当時のゆれ動く心境を誠実にふりかえった記録を読むと、青春とは心の不純物に最も敏感な時代であると、あらためて思わざるをえない。自分はほんとうに義務感から兵役を志願したのかというハリー自身の問いが端的な例だ。やがて一日のおわりに起きた悲惨な事故。その先は読むのがつらくなる。ちょうど『ラヴ・ストーリィ』のように。ただし、ここでも本書は感傷に流れず、むしろ心の検証へと向かう。その結果はやはり、青春の光と影を反映したものだ。あまりにも輝かしかったハリーの、あまりにもはかない運命。それはまた、題名どおりアメリカのエリートたちの運命でもあり、ひいてはアメリカの運命とも重ねあわせて著者はこの小説を締めくくっている。ローチャーやシーガルの作品と並ぶ秀作である。

 …Independent Publisher Book Award の05年度受賞作。この賞は日本ではあまり知られていないと思うが、いわゆる独立系出版社から刊行された「知られざる優秀作」に世間の注意を促す趣旨で96年に設立されたもので、過去には Jim Harrison や Leif Enger なども受賞している。
 この本を読んでいると、青春時代のいろいろな思い出がよみがえってきて本当に懐かしかった。『ラヴ・ストーリィ』なんて、今でも読まれているのだろうか。ぼくも昔、二回読んだきりだし、映画『ある愛の詩』のほうも二回観ただけで、DVDは迷いつつ買っていない。余談だが、あの映画で死んだはずのアリ・マッグローが『ゲッタウェイ』で「生き返り」、しかも共演したスティーヴ・マックィーンと結婚したと知ったときは、え、嘘だろ、と拍子抜けしたものだ。
 「ボストンからぼくたちの行き先まで6時間かかった。オーガスタからベルファストまでは雨。やがて海沿いの道を走っているうちに霧がかかってきた。…」という "Meritocracy" の冒頭の文を目にしたとき、とっさに思い出したのはハーマン・ローチャーの『おもいでの夏』だが、こちらも小説、映画ともども忘れられた作品に近いかもしれない。僕はジェニファー・オニール主演の映画のほうを先に観たが、あとで原作を読んだとき、映画とまったく同じ印象だったことに感心した。ズレがいっさいなかったのだ。小説のほうは原書も翻訳も入手困難で、ぼくも Alibris で古本を購入したくらいだが、さいわいDVDが出ている。これは大好きな映画なので買ってしまった。

 なんだか脱線ばかりしているが、言いたいことは上のレビューに尽きている。人生の重大な問題を扱った作品ではないが、ぼくも人の子、この手の青春小説にはめっぽう甘く、星5つを献上してしまった。脱線ついでに以下、『おもいでの夏』 "Summer of '42" の冒頭の拙訳を載せておこう。昔、つれづれなるままに訳したものだ。

 男は前からいつも舞台を再訪しようと――あの島をもういちど目にしたいと思っていた。けれども、その機会はいっこうに、きちんとしたかたちでは、めぐって来なかった。ところが、こんどは予定に穴があき、そのあと何もかも驚くほど都合よく進んだので、ニューイングランドの海岸を車でずっと北上し、昔の魔法にまだ効き目がのこっていないか確かめることにした。古ぼけたフェリーに乗船すると、愛車のメルセデス・コンヴァーティブルに、五、六人ほど乗りあわせた、いかつい顔つきの島民たちが、さりげなく氷のように冷たい視線を浴びせてきた。島へ渡る新車は、いつもごくわずかだったからだ。パケット島を訪れる車といえば、たいてい人間ならゆうに静脈瘤を起こすような年代物で、それゆえ、製造年数的にも性能的にも、本土へ帰る旅にはいっさい関心がない。「どの車もくたばるためにやって来るんだよ、このくそいまいましい島にはな」とそうオッシーが言ったものだ。あの “大哲学者” オッシー。たしかに、それは一九四二年とおなじく、一九七〇年でも真実だった。
 男はまわりの顔を観察した。どの顔も風上をむき、そよ風をまともに受けている。どうやら、こちらのことを憶えている乗客はひとりもいないようだ。無理もない。二十五セントの料金を払って最後にこのフェリーに乗ったのは、まだ十五歳になったばかりのことだった。あれからきょうまでのあいだに、ずいぶんいろんなことが変化した。料金もそうだ。昔の二十五セントが、いまでは一ドル。男も変わり、今年で四十二歳。それなのに、どうして自分のことを記憶にとどめている人間がいるだろう。そう思うのは、虫のいい話だ。
〈パケット島コーストウェイ〉とかいう道路を、淡々とメルセデスで進む。制限速度は時速五十キロ。廃車置場で発掘したラサールでも、べつにどうということはない。新車のメルセデス・ベンツならなおさらだ。道の左側には、なつかしい砂丘が広がっていた。草むらに覆われ、いろいろなゴミや白色化した木片が、てんでんばらばらに散乱している。海が気のむいたときに、道路のむこうから無造作に放り投げてきたものだろう。ついで右手に視線を移すと、海そのものがあった。白波が立った灰緑色の海。しかも広い。いや、とてつもなく広い。世界でも指折りの広さだ。
 高級車がでこぼこ道を難なくこなしていく。大きなフロントガラスのむこうを眺めると、前方になんだか妙にどんよりした靄がかかっていた。もう昼前だというのに、日の射す気配はいっこうにない。予想がつくのは気まぐれな霧で、それがいっとき漂ってから、やがてこの島で “昼間” と呼ばれる時間帯になる。視界はどの方角も、わずか五十メートルばかり。まぶしい光の輪が懸命に広がろうとしている。けれども、海風が早くも勢いよく吹きつけていた。おかげで霧はしぶしぶ持ち場を譲り、恨みがましく島の奥へと小刻みに引っこもうとしていた。霧の流れが目にとまる。その前へ駆りやられる影のかたまり。重く垂れこめた灰色のカーテンが上がり、青空がのぞきそうな兆しがかすかにある。ふと、何かの輪郭が浮かんできた。小高い砂丘の上、道路の海側をちょっと行ったあたりにうずくまっている。一軒家だ。杉の板ぶきで、すっくと建っている。はるか遠くにある、けれどしっかり思い出にのこっていて、釘の一本一本まで脳裏に再現できる家。ドロシー。愛しているよ、ドロシー。